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ハルノート ② 

ハルノートは最後通告か?

ハルノート①口上書で、「最後通告と読めない」と書いた。しかし、「最後通告と読むのは、単なる誤解・誤読である」と決め付けたわけではない。ここにいたるまでに日米間でいろいろ外交交渉が行われていた事実がある。1939年暮れから始まった民間ベースの水面下の交渉から、1941年3月からの野村駐米大使とハル国務長官との交渉経過をたどるとともに、第二次欧州戦争の時系列的な変化、各国の、特にソ連の動向などを下敷きとして考察してみたい。

今回は、時系列を追ってその経過を調べた結果を記述する。1941年のことである。

 02.11 野村吉三郎駐米大使ワシントンに着任、日米交渉が本格化。
 03.08 第一回目の野村・ハル会談。
 03.14 第二回目の野村・ハル会談。
 03.17 「日米協定草案」起草。 *1
 03.23 松岡外相、スタインハート駐ソ米大使と会談。
 04.09 野村大使、日米交渉のための第一次日本案を提出。*2
 04.14 第3回目の野村・ハル会談、米の対中国三原則が示される。 *3
 04.16 日米交渉再開始。
 04.16 ハル国務長官、野村大使に日米交渉の四原則「日米了解案」を提示。 *4
 05.12 野村大使、ハル国務長官に修正案を提出し、日米交渉再開始。
 05.27 ルーズベルト大統領、国家非常事態・臨戦態勢を宣言。
 05.31 米側「中間案」を提示。 *5
 06.21 ハル国務長官、5.31日の米側「中間案」の修正と
       松岡外相を非難するオーラルステートメントを野村大使に手渡す。 *6
 08.08 野村大使、ハル国務長官に日米首脳会談(ハワイ会談)開催を提案。
 08.17 野村、ルーズベルト大統領会談。対日警告文と首脳会談に対する回答が伝えられる。
 08.18 豊田外相、グルー会談。
 08.28 野村大使、ルーズベルト大統領に日米首脳会談を申し入れる。
 09.03 米側が日米首脳会談について事前討議の必要を回答。
 09.04 野村大使、新たな「共同声明」を申し入れる。
 10.02 米側、強硬な「覚書」を提示。 *7
 10.12 対米和戦の会議が近衛別邸で開かれるが、陸相(東條英機)の不同意で未決。
 11.07 野村大使、甲案を米側へ提示。 *8
 11.20 野村、来栖両大使、米側に乙案を提示。 *9
 11.26 米側から日本政府に書簡が示される。 *10

入手可能な資料

上記の年表中、 *1~*10 の文書の内容を比較すると、この交渉過程での、日米両国のそれぞれの主張・譲歩点が解るのではないかと考え、いろいろ探した。残念ながら、本日現在、*4 *8 *9 *10 は入手できたが、その他の文書は見ることが出来ない。外務省のホームページにアクセスしているが、なかなか発見できない。
【訂正:終の*1⇒*4、日米了解案】

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